「休止は、動きは奪われているが、振動は奪われていない。そして、音が完全に止まっているあいだ、外的なリズムは内面化され、聴き手の体内で振動し続ける。しばしば、沈黙は口説に勝るといわれる。音に続く会話におけると同様の効果を生み出す。」
リトミック創始者のエミール・ジャック=ダルクローズリトミックの言葉です。
何回も読んでみたくなる言葉です。
リトミックのレッスンでは、よく音楽が止まります。音楽が止まらないのは、リトミックではない、といってもいいかもしれませんね。
特に、リトミックといえば「即時反応」といわれるように、流れていた音楽にあわせて歩く。すると、
急に音楽が止まる。耳で聴く。脳で判断する。そして、体が止まる。この一連の流れを、その言葉通り「即時」に「反応」出来るようにすることです。
人生、何もなく平穏な日々を願わない人はいないのですが、
そうはいかないのが、人生。必ず、なにかあるのが人生です。
その時に、「今」なにをしないといけないのかを、「即時」に考え「行動」出来る力、ともいえると思います。
それとは別に、もっと長い時間の沈黙の場合。
たとえば、
おともだちをお話をしている時に、話が途切れてしまった経験はあるでしょう。
なんとか話をつなごうと、なにか話をしようと、とにかく「話す」ことに必死になってしまいます。
特に、年齢を重ねた女性の方(人ごとのようですが)に多いらしいですね。
わたしがしゃべらないと!わたしがやらないと!わたしがなんとかしないと!
音楽でいえば、とにかく音を出すことばかりに必死になってしまう。
まわりの音を聴き、自分が今出さないといけない音はなにかを判断し、調和を生み出すこと。
そんな力も、自然とリトミックのレッスンの中で育んでいます。
前置きが、だいぶ長くなりました。
親は、「待つ」ことが大切、だと、育児書を読んでも、あちらこちらに書かれていますね。
待つことを、時間の長さだと考えてしまうと、子どものやることがイライラして待てない。
洋服のボタンひとつ、靴をはくことひとつ、ご飯を食べることのひとつ。
リトミックのレッスンの中だったら、
おともだちにボールを渡すこと、何色がいいかを決めること、ハサミを使えないこと、
おへんじが出来ないこと、などなど。
この時間は、子どもの中では止まっているわけではないのです。
沈黙の時間をうめたいと思う気持ち、とてもよくわかります。
みんなといっしょにしてほしい気持ち、もっとよくわかります。
でも、この時間の中にも、ダルクローズのいう
「沈黙は口説に勝る」ともいえると思うのです。
子どもは、今、成長に必要なことを、わかっています。
それを考えています。時間を必要とします。
親の過去は、古い過去。子どもは、未来を生きていきます。
親と同じ人生は歩みません。
この子の人生。
1歳なら1歳の、2歳なら2歳のたっぷりとした時間を
いっしょに楽しんでいけたらいいですね。
*小学生のクラスでは、「外的なリズムが内面化される」を
もっと具体的にレッスンします。
川田智子
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