2012年10月25日木曜日

リトミック発表会~絵本を読んで~




































この時間がよかったなあ。

「みてぇ~!」いろんな色になった手をみせてくれるみんな。
手がよかったなあ。

その時の、顔がよかったなあ。



2012年10月22日月曜日

リトミック発表会の楽器!竹!

ありがとうございます!

遠い遠い山から、
竹をいただきました。

それも、こんなにきれい!






どんな音になるかな。

みんな、楽しみだね!



会話を音楽と考えると、楽しくなる

twitterの調子が悪いのかしら。うまく表示出来ないので、
こちらに書かせていただきますね。

茂木健一郎さんの連続ツイートです。

かた(1)滞在中のローマのホテルで、テレビをかけっぱなしにしてこの連続ツイートを書いている。今回は、もっとイタリア語の音に慣れようと思って、できるだけかけるようにしている。意味はよくわからない。ただ、そのリズム、響き、イントネーションが、「音楽」として聞こえてくる。

かた(2)昨日、バチカン庭園を歩いたときも、イタリア語でしゃべるガイドの声を、ずっと無線のイヤフォンで聴きながらいた。時々言葉が拾えて、その頻度が上がっていく。しかし、そのイタリア語の習得に意味があるのではなくて、「音楽」としての音に触れることに、主な意義があった。

かた(3)人は、誰でも一人ひとり「楽器」である。発話するということは、すなわち、一つの固有のリズム、イントネーション、響きを持つ「音楽」を奏でるということである。日本語という言語の持つ固有の性質もあるけれども、そこに「個性」が付け加わる。そんな認識を持つだけで、世界が広がる。

かた(4)コミュニケーションとしての会話は、「音楽」としての性質を持っている。同じ意味を伝えているのに、心地良い印象を与えることもできるし、不快な時もある。自分が、相手に意味を伝えているだけでなく、同時に音楽を奏でているという認識を持つことで、「技術」を磨くことができる。

かた(5)落語家は、話のリズム、間などを一生磨いていく。だから、そこに音楽性があるということはわかりやすい。問題は、発話する時、自分が「楽器」であるという意識が十分にない方が多いということだ。そこには、失われた機会があり、向き合うべき課題がある。十人いれば十通りの楽器があるのだ。

かた(6)そして、会話は、二人の人間がそれぞれの「楽器」を持ち寄る、「合奏」行為でもある。響きがハーモニーとなるのか、あるいは不協和音となるのか。時に、ギシギシと軋んだとしても、それが一つの味わいでもある。三重奏、四重奏、オーケストラによる合奏もある。指揮者は大抵の場合いない。

かた(7)発話を、「音楽」としてとらえることは、特に、外国語修得においてはきわめて重要である。例えば、日本人が英語を話すときに、意味は十分にとれていても、発話される英語が、「音楽」として変調している場合がある。完全にはできなくても、一つの「演奏」であるという認識を持つべきなのだ。

かた(8)もっとも、日本語なまりの英語にも、独特のリズム、イントネーション、響きがある。場合によっては、それが一つの魅力になる、ということもあるかもしれない。フランス人の英語、中国人の英語、すべて「音楽」が異なる。そんな意識で世界のさまざまな人とコミュニケーションすると、楽しい。


かた(9)日本人同士であれ、外国人とであれ、会話を「音楽」としてアプローチすることの効用は、意味の正しい/正しくないではなく、音に触れる「楽しみ」を基礎とできること。もっと自由であっていいし、もっと磨かれてよい。日々が、ストリート・ミュージシャンとしての演奏機会となる。



2012年10月19日金曜日

すまいるリトミック発表会2012~ひだまりほころび~各クラスの絵本

あちらこちらで、リトミック発表会のことを綴っています。
来週は、発表会のもとになる絵本を子どもたちと楽しみます。

各クラスの絵本を紹介しますね。



STEP1(1歳児)クラス
「はじまりはじまり」




「ルフランルフラン」






STEP2(2歳児)クラス
「はっぴいさん」






STEP3(3歳児)クラス
「ルフランルフラン2」





STEP4(4歳児)クラス
「そのつもり」








STEP5(5歳児)クラス
「ボイジャーくん」








小学生クラス
「きょうというひ」






STEP3~小学生クラス合同
「ぼくときみとみんなのマーチ」







そして、こちらが、
STEP2クラスの女の子が描いてくれた絵。

プログラムの表紙にいただきました♪
ありがとうございます。




facebookページは、facebookアカウントがない人でも、
見れると思っていたんだけどなあ。

もし、よろしければこちらもどうぞ。

すまいるリトミック発表会までのこと。







2012年10月17日水曜日

音で会話する~リトミック発表会~アンクルン

すまいるリトミック発表会のオープニングは、
小学生クラスと5歳児クラスの合同で、アンクルンを演奏します。


 




ひとり1音で、なにか曲を、と考えていましたが、 やめました。

 リトミックは、

  「リズム」
  「即興演奏」  
 「ソルフェージュ」

 から成り立っています。

 譜面を読み、演奏することは、 このクラスになれば、ちょっと練習すれば出来ること。
あえて、「即興演奏」をしてみることにしました。

 昨日は、5歳児クラス、小学生クラスの合同練習第一日目。  
アンクルンは、一か月前でしょうか、もっと前でしょうか、 一度触ったことがある、小学生クラス。
 さっと、好きな音を持ってもらい、音を出してもらいました。     

でません.....。

 「好きにしていいよ」「自由に音を出していいよ」の意味が よくわからないのかもしれませんね。

 「今日、何食べた?」「カレーライス食べたの。」「おいしかった?」「うん、とってもおいしかった」

 音でお話してみようか?  

 でません....。

 5歳児クラスの女の子が、一生懸命話かけているように聞えます。

これが、このクラスのいいところです。
やさしく思いやりがあり、相手を気遣うことが出来ます。


 輪を大きくしてみました。 自分の声を、もっと遠くの人に聞いてもらおう、と思ったからでしょうか。

長い音が、ぽろーんぽろーん、聞えてきました。
どんな会話をしていたのでしょうね。


 さて、当日は、どんな音楽で会話してくれるのでしょう。 楽しみです。









2012年10月15日月曜日

イメージしたことをイメージした通りに動くこと

昨日は1日リトミック研修でした。

小学生のリトミック。
トーンチャイムを使って、朝から夕方までどっぷりのリトミック。


 



トーンチャイムの音を鳴らすことは、
動きでいうと、ジャンプをした時の着地の動きといっしょ。

地面に足がつく瞬間までの時間、
リトミックでは、アナクルーシスというのね。

アナクルーシスという言葉は、もっともっと深い意味があるんだけれど、
今朝気がついたことは、そのアナクルーシスの動きの事ではなくて。


 ここで、このyoutubeを見て、トーンチャイムの音の出し方がわかった。
 イメージ出来た。
 さて、それをやってみよう、と思った時に、

 動いたことがある人ではないと、音は出せないということ。


リトミックのレッスンでは、ジャンプをする、ということを子どもたちと各年齢の
発達段階に応じて経験している。

たとえば、

1歳児は、ジャンプしたい、と思う気持ち。もっと高く飛びたい。両足でジャンプ出来るように。
2歳児は、音楽のタイミングに合わせてジャンプ出来るように。
       ありさんがお引越しをしたよ。あ!お家をみつけた!ありさんぴょん!でフープに入る。
3歳児は、決まった数だけジャンプ出来るように。
      ここは池。落ちたら冷たいね。3つの石を飛んでみよう!


4歳児、5歳児、と、続く。


ジャンプなんて、いつかは出来ること。
わざわざリトミックでジャンプをしなくてもいい。

ただ、タイミングを合わせてジャンプをする、ということは、
トーンチャイムが出来るようになること、ではないと思うの。

ジャンプが出来たらトーンチャイムが出来るか、と言ったら、
そんなに簡単なことではないわよね。


音楽、というものには、星の数ほどの小さな小さなスパイスのようなものが、
必要だと思うの。

音楽だけに限らず、
この世の中で生きていくということは、人とお話が出来ればいい、だけではないもんね。


話がどんどんずれちゃったわ。


リトミック創始者
ダルクローズは
「わかったことを、わかったように、表現できるようにする」

今、自分で考えない人が多い。すぐに答えを求める。
それはなんですか?それはどういう意味ですか?
その次に、まとめたがる。
つまり、こういうことですね。

わたしの勝手な考えだけれど、
わかったつもりになっているから、というのもひとつあると思うのね。

検索をすればすぐ答えが出てくる。
それと、イメージして表現することを繰り返す経験が少ない。

それは、音楽だけの話ではないわ。

表現というのは、スカーフを持ってちょうちょになることだけではないのね。

人と人が出会い、言葉をかわすこと。

これも表現だと思う。


フープの中に、みんなと同じタイミングで入れた喜び。

あら、言葉で書いてしまうと、地味だけれど。


いい気持ちよ。


このいい気持ちの積み重ね。


リトミックは、子どもたちが大人になったとき、
その、いい気持ちが広がって、
やさしい子になりますように。


わたしは、そう思っています。



2012年10月7日日曜日

リトミック発表会プログラム。さて楽しい時間。

すまいるリトミック発表会は、12月に開催されます。

子どもたちには、発表会のレッスンはしていません。
(小学生クラスには、勢いだけ、伝えています。)

準備の楽しい時間も、そろそろ終盤になってきました。

あるところで、ふと、目にとまった絵。

2歳児クラスの女の子からいただきました!

ありがとうございます!






プログラムの表紙にと考えています。

どのようにしようかなあ。

楽しい時間です。


すまいるリトミック発表会までのこと。
とっても、マニアックなことは、
facebookpeページに。




一見様お断りのリトミック教室?!

この夏ぐらいからかなあ。
お母さま方には、びっくりよ、とぺちゃくちゃ話をしているんだけどね。

上から目線でもなくて、そう、横から目線で見てみると、
不思議なんだなあ。


こういうのを、ご縁っていうんだろうなってね。

すまいるリトミックという教室があるでしょ。
その集合体もご縁なんだと思うけれど、
そのまた小さいクラスの中を覗いてみると(覗かなくてもいいんだけど)、

ああ、このお母さんには、このお母さんが必要だから、
このお母さんとこのお母さんは同じクラスになったわけだ。

となることを、びりびり感じるの。






今読んでいる本が、「辺境ラジオ」。
その中でね、名越先生が、

 “講演会の時はけっこう大人数ですが、塾をやる時は何十人ぐらいが相手です。
 それが何か泥臭くてダサくて、昔やっていた子供会のノリみたいで進歩がないと感じる人も
 多いかもしれません。けれど、実際にやると一つ不思議なことを感じるんです。
 それは縁があるということなんです。”

 “偶然じゃない感覚の集まり。それは「大人数」とか「グローバル」とか、「薄利多売」では
 感じられない、もっと素敵なことでないかな。”


リトミック教室は、別に義務教育ではないし、
習い事も世の中にはたくさんある。もちろん、
習い事もしなくてもいい。
しない、という選択の方がいいと思う時もある。
(語尾を濁して言うけれど)


だから、
「去る者は追わず、来たる者は拒まず」

という姿勢で教室をしているつもりだったんだけど。


これも違うなあと。


「一見様お断り」


うわ。すごいプライドが高い教室で、敷居が高くて、
面接があって、先生が怖くて(怖いけど)、紹介がないと入れないみたい。

そういうのでもなくて、

わたし自身が、来たる者を拒んでいるのかもしれないなあってね。

一見様お断り、というのは、
プライベートレッスンのように、一対一の場でリトミックは出来ないでしょ。
グループレッスンだから、今いる子どもたちお母さま方を一番に考えているの。

そうすると、自然と、うん。

一見様お断り、になるのかもしれないなあ。

去る者は追わず、よ。

去る者は追えない、からね。


生徒募集をしないリトミック教室。

これ、いいでしょ。

ということで、
体験レッスン随時受付中です!
うはっはは。


 リトミック研究センター認定教室すまいるリトミック
 塚口教室 伊丹教室 

 チケット制の 江坂教室


ホームページはこちら。


 





2012年10月5日金曜日

私信です。名越先生の本。







 









 



















 



そして、これが、昨日ミシマ社さまにおじゃまして、
いただいてきた本です。








2012年10月4日木曜日

うまく言えないけれど、ミシマ社。


コミュニケーション不足だから、
人々が集まる場が必要。

お母さんの孤独、
子どもたちの遊び場がない。

だから、

とかね。

もう、そういう、原因探しのようなことは、
正直言うと、飽きた。

そうね、悪者探しのよう。

いじめがあるのに、ないと言ったり。
今度は、いじめの原因はなんだ!とか。

徹底的に、世の中悪者探し。

悪者なんていないんだよなあ。

いろいろあって、悪いところが出てきちゃって、
ああ、そうなんだなあ、そういうこともあるだろうなあ、
それなら、どうしたらいいだろう、でもなくて、

そういうこともあるだろう。

で、いい。

そんなことを言っていたら、おまわりさんいらないでしょ、
なんて言うけれど。

そのあたりは、おまわりさんにおまかせしちゃう。笑。


そのような、とか、こんな感じ、とか、で、
さっぱり話が進まないけれど。


「これだ」 「こういうのを求めていた」 「ここだ」

いろいろと知っていくうちに、このミシマ社さんの名前がよく
登場してきたのね。

いつかは、行きたい、と思っていて、
今日の午後は、(わたしの)レッスンがお休み。

行ってきました。









玄関で

おじゃまします

「どうぞ。」と奥から声。

(吸い取られるよにここに来ました、と言えずに)

やっときました!
とか、変な挨拶をして。

「どうぞ。」に甘えて、

お話たくさん伺ってきました。




















これも!これも!といただいたら。

「本が喜んでいます。」

わたしもうれしいです!

また来ます!

ありがとうございました!



ちょっとリンクを貼っておこうかしら。


「面白い本」を世に送り出す三島邦弘が立ち上げたミシマ社って?




●場所〒610-0101
京都府城陽市平川山道115 


いただいた本のリンクは、
貼り方が、このブログはよくわからないので。
おいおいと。笑。