雨の朝で、予定があった人には申し訳ないけれど、しっとりとしていて今日はいい日!なんて、
思って飛び起きた。
去年、絵本作家「荒井良二さん」の絵本でリトミック発表会を開催。
その時、
「今やらんで、いつやるねん」
このイベントに気がついたのが、夏だったかなあ。
どうしても行きたくてね。
なにかの拍子に、今年も開催されることを知って、
「絶対に行く!」と。
「やろや、やりたいことを。」
荒井良二さんのイベントは、5月6日。
予定があるので、その前に、おじゃますることに。
イベントは毎日開催されていて、その中でも気になっていた
「写経」が昨日の4月30日。
予約が必要だとわかっていたんだけど、出来るかな、やってもいいのかな、
なんにも知らないしな、と、得意の自信のなさがここにも出てきちゃって、
そのまま出かけることにしました。
途中、道に迷ってしまって、おばさまに聞いたの。
「ああ、ああ、そこは、ずーーーっといって、ここを、ずーーっといって、
くるっとひっくりかえって、ひょっとしたところに、そうそう、くるっとな、ひっくりかえったところにあるから!」
オノマトペたっぷりの道案内に、ケラケラ笑ってありがとう言って、
くるっとひっくりかえったら、到着。
深呼吸。吐いて、吸って、深呼吸。
身体の中の何かが、とけていく感じがしたわ。
荒井良二さんの、動物さんが迎えてくれて。
よぉ、っとだけ挨拶。
そうそう、その時は、雨もやんでいた。
恐る恐る、イベントの「写経」を申し込んで。
「わたしでも、できますか?」
「はい、だいじょうぶでしょう。」
墨をする、なんて、高校生以来。
母が習字好きだから、家中、書でいっぱいだけれど、
ほとんど見ているだけ。
般若心経。
「この字は、この意味だというように頭で考えることではなく、
身体で感じるように、読経をしましょう。」と。
(たぶん、こんな言葉だったと思うけれど。間違っていたらごめんなさい。)
般若心経のノートのようなものは、やったことがあったの。
意味が書いてあって、ふむふむとその時は、覚えていたけれど、
たしかに。 忘れている。
ひとつひとつ、声に出して読んでいるうちに、
自分の声が自分の声ではない感じに聴こえてきたんだよなあ。
瞑想をしなさい、とよく言われるでしょ。その時の様子に似ていた。
書きながらも、その時の様子に似ている。
墨をすっていても、その時の様子に似ている。
とにかく、邪念っていうのかしら。多すぎる。
それが、一瞬だけでもなくなった時(ほんとに一瞬よ)、
文字がすっときれいになっていたんだよなあ。
願い事(これも名前が違うわ)を書く。
「世界平和」って書きたかったけれど、例にならって、
「心身健康」に。
寺子屋のような教室に。ここがあってよかったという場に。
ミシマ社さんにおじゃました時のことも、どこかに書いたと思うけれど、
また帰り道は、そんなことを願って深呼吸して歩いてきました。
最後に、パンフレットを引用させてもらいます。
禅とは何か、アートとは何か。
それは、いつどんな時にも変わる事のない本質を追究すること。
結果やその行為の意味を求めるのではなくただひたすらに。
そして本質とはカタチのないもので、
追求し続ける事をやめた途端にどこかへ消えてなくなってしまう。