出来るか?というのは、出来ないから、出来るか?という、
いつの時代も繰り返される言葉だと思うのです。
子育てだけではないですよね、毎日道を歩いていても、車を運転していても、
イライラしないことは、ないでしょう。
でも、子育てをしていて、イライラするのは、それは我が子だから。
こうなってほしい、こうしてほしい、ということと、
わたしがこうしたい、今トイレに行きたい、今買い物に行きたい、
でも出来ない。
だから、子育てからイライラをなくすことは出来ません。
と言ってしまったら、明日から暗い毎日が繰り返されてしまうでしょ。
少しでも、10回のうち1回でも、昨日より今日、今日はちょっと怒ってしまったけれど、
明日は少しでも笑顔で、ほんの少しだけ。
どうしたらいいのかいっしょに考えてみましょう。
日曜日に、幼児共育コレクションに参加してきました。
モンテッソーリ教育、シュタイナー教育、フリースクール・・
たくさんの先生方のお話をお伺いしてきました。
どんな教育も、すべて(と言っていいかしら)「子どもを知ること」。
このひとつです。
子どもを小さくて何も知らない人だと思っていませんか。
わたしが教えてあげないと、この子は何も出来ない、と見下していませんか。
たしかにね、産まれてから歩くまで、危なっかしくて、周りの人や環境がないと、
生きていくには大変なこと。
ちょっとお話がそれてしまうけれど、人間の子が、二足で歩ける姿で産まれてきたら、
ここまで「イライラ」はしないのかもしれないなあ、と思っているんです。
そんなことは出来ないので、話を戻しますね。
リトミックを通して、たくさんの子どもたちに接していると、
やはり子どもは天才だと確信します。
(ここに動画をもうひとつ入れることは出来るかしら?出来ないみたいなので、子どもは天才はまた違う時に)
たとえば、子どもがコップに入ったお水をこぼしてしまう時。
これを「発達のプロセス」と取るか、「いたずら」と取るか。
どの子も、お母さんを困らせようと思ってやっているわけではないんです。
嫌われようと思っているわけでも、掃除を手間を増やしてやれ、なんて、
そんなこと考えていません。
この子の成長に必要なことを、この子の中から今出てきたことを、やっているのです。
発達段階については、子どもは同じプロセスを通ります。おそいやはやいは別ですよ。
同じです。だから、少しでいい。子どもを知ること。
わたしも、すべての子どもについてわかっています、なんて、そんな神様のようなことは出来ません。
ただ、わからないけれど、何かこの子にとって今必要なことをしているんだろうなあ、と、
その行動ひとつがおもしろくて仕方がないのです。
このyoutubeは、リトミックのレッスンの中で、楽器を出したところ。
何も言わずに、すべての15クラスぐらいかなあ、このような即興演奏をはじめました。
おもしろいのは、箱まで楽器にしてしまうところ。
わかりました。子どもの発達ですね。それでもイライラします。
というお母さま。
リトミックは、心身の調和をはかります。
心と体を自分で知ることができます。毎日毎日いつまで続くのかわからない(いつかは終わるのですが)、
子育てのほんの隙間に、リトミックで一瞬でもさわやかなエッセンスを入れていきましょう。
わかりました。それでもイライラします。
というお母さま。
一緒に悩みましょう。
正解も答えも難しいも当たりも外れも間違いも、
なんにもありません。
「あ!せんせ!まちがった!」
駄目だしされているわたしでも、子どもたちは手を伸ばしてくれます。
マリア・モンテッソーリ
「紛争の回避は政治がなすべきことであり、平和の構築は教育がなすべきことである」
すまいるリトミックホームページ
http://www.smile-ry.com/
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